2016/5/4 忽那諸島 その4 野忽那島 《後編》
昨日、5月3日のフラワーフェスティバルは雨にたたられて残念。
それはまた別途ご報告するとして、野忽那島の続きです。
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金毘羅鼻の浜から引き返し港の方向に戻る途中に神社がありました。
宇佐八幡宮様です。木漏れ日が一種荘厳な、といいますか、神域にふさわしい雰囲気を醸し出していました。
「至誠 神に通ず」でしょうか。
割と質素なお社です。道中の無事を祈願してちょっとだけお賽銭を。
そのすぐ隣が小学校。
今は子供の数が少なくなり、休校とのことです。
この野忽那小学校は、全国から子供を呼び寄せて「瀬戸内シーサイド留学」をおこなっていた学校で、平成20年に休止するまでに120人の島外の子供たちがここで学んだとのこと、なかなか先進的な試みを行っていたんですね。
今はここの子供たちは野忽那諸島で一番大きい中島の学校に通うそうです。
学校のモットーでしょうか。
関係ありませんが、私が卒業した高校のモットーは、「友愛、精新、気魄」でした。(いまパソコンに打ち込んで変換したら、「友愛精神希薄」と出てきて苦笑)
一輪車が揃えてあります。明日にでも授業が再開できるように、という人々の願いが込められているように感じました。
「海と太陽と花の学校」という看板だったようです。
ちょっとさみしい。
いったんフェリー船着き場まで戻ってから、弓なりに大きく湾曲している海沿いの道を歩いてみました。全体が漁港になっています。
あの小高いところが先ほど登った皿山です。てっぺんに小さく東屋が写っているんですが見えるでしょうか。
一対のお地蔵さんが海に向かって静かにすわっていらっしゃいます。
一人だけ港で作業している方がおられました。海藻を干しているようです。
テングサでしょうか。
帰りの船の時刻も近づいてきたので、船着き場に戻りました。タコツボがたくさん積んであります。
タイヤを切ったものが貼ってあるのは、こわれたところを修理したもののようです。
タコというのは大変賢く、また好奇心の強い生き物だそうで、オーストラリアの水族館からタコが自力で脱走した、というニュースがCNNのサイトに載っていました。
さて、二時すぎ帰りの船が来ました。
本当はこの船にのって次の寄港地である睦月島で下船し、そこでまた数時間を過ごし、最終の船で午後七時頃松山に戻る、という計画だったのです。しかし徒歩で歩き回ったためもう疲れてしまいました。慣れない山登りもしましたし。
という訳で二島一挙制覇は断念、帰ることにしました。
さらば野忽那島。今度来るときはちゃんと三津浜港から乗って自転車もつれてくるからね。
穏やかな海でした。
高浜港着15:20。自転車を拾って松山観光港へ。広島へのフェリーは16:45発。
この便はたまたまいつもの広島行き航路(野忽那島の東側)と少しずれて、野忽那島と睦月島との間を通過する航路をとりました。そのため、夕日を受けた野忽那島をながめることができました。左側にあの浜で見た田ノ島も見えます。
途中、松山に向かう船とすれ違いました。
音戸の瀬戸を通過。
6時半ごろ日が沈みました。
このあと呉港に立ち寄り、宇品着が19:30。家についたのが20:15ぐらいでした。
という訳で今回は自転車の走行距離はわずか16㎞ほど。昨年5月大崎下島に行ったおり、あてにしていたレンタサイクルがない、という手違いで御手洗の町を歩いて回ったことがありましたが、その時以来の徒歩の島巡りとなりました。こういう経験をすると、やっぱり折りたたんで船でも電車でも持ち込めるタイプの自転車がほしくなります。
次はリベンジ、睦月島制覇ですね。
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それはまた別途ご報告するとして、野忽那島の続きです。
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金毘羅鼻の浜から引き返し港の方向に戻る途中に神社がありました。
宇佐八幡宮様です。木漏れ日が一種荘厳な、といいますか、神域にふさわしい雰囲気を醸し出していました。
「至誠 神に通ず」でしょうか。
割と質素なお社です。道中の無事を祈願してちょっとだけお賽銭を。
そのすぐ隣が小学校。
今は子供の数が少なくなり、休校とのことです。
この野忽那小学校は、全国から子供を呼び寄せて「瀬戸内シーサイド留学」をおこなっていた学校で、平成20年に休止するまでに120人の島外の子供たちがここで学んだとのこと、なかなか先進的な試みを行っていたんですね。
今はここの子供たちは野忽那諸島で一番大きい中島の学校に通うそうです。
学校のモットーでしょうか。
関係ありませんが、私が卒業した高校のモットーは、「友愛、精新、気魄」でした。(いまパソコンに打ち込んで変換したら、「友愛精神希薄」と出てきて苦笑)
一輪車が揃えてあります。明日にでも授業が再開できるように、という人々の願いが込められているように感じました。
「海と太陽と花の学校」という看板だったようです。
ちょっとさみしい。
いったんフェリー船着き場まで戻ってから、弓なりに大きく湾曲している海沿いの道を歩いてみました。全体が漁港になっています。
あの小高いところが先ほど登った皿山です。てっぺんに小さく東屋が写っているんですが見えるでしょうか。
一対のお地蔵さんが海に向かって静かにすわっていらっしゃいます。
一人だけ港で作業している方がおられました。海藻を干しているようです。
テングサでしょうか。
帰りの船の時刻も近づいてきたので、船着き場に戻りました。タコツボがたくさん積んであります。
タイヤを切ったものが貼ってあるのは、こわれたところを修理したもののようです。
タコというのは大変賢く、また好奇心の強い生き物だそうで、オーストラリアの水族館からタコが自力で脱走した、というニュースがCNNのサイトに載っていました。
さて、二時すぎ帰りの船が来ました。
本当はこの船にのって次の寄港地である睦月島で下船し、そこでまた数時間を過ごし、最終の船で午後七時頃松山に戻る、という計画だったのです。しかし徒歩で歩き回ったためもう疲れてしまいました。慣れない山登りもしましたし。
という訳で二島一挙制覇は断念、帰ることにしました。
さらば野忽那島。今度来るときはちゃんと三津浜港から乗って自転車もつれてくるからね。
穏やかな海でした。
高浜港着15:20。自転車を拾って松山観光港へ。広島へのフェリーは16:45発。
この便はたまたまいつもの広島行き航路(野忽那島の東側)と少しずれて、野忽那島と睦月島との間を通過する航路をとりました。そのため、夕日を受けた野忽那島をながめることができました。左側にあの浜で見た田ノ島も見えます。
途中、松山に向かう船とすれ違いました。
音戸の瀬戸を通過。
6時半ごろ日が沈みました。
このあと呉港に立ち寄り、宇品着が19:30。家についたのが20:15ぐらいでした。
という訳で今回は自転車の走行距離はわずか16㎞ほど。昨年5月大崎下島に行ったおり、あてにしていたレンタサイクルがない、という手違いで御手洗の町を歩いて回ったことがありましたが、その時以来の徒歩の島巡りとなりました。こういう経験をすると、やっぱり折りたたんで船でも電車でも持ち込めるタイプの自転車がほしくなります。
次はリベンジ、睦月島制覇ですね。
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